2008年10月アーカイブ

H201029 こんにちは、Nです。趣味は天気予報です。

27日の夜のことです。ゴーッ、バチバチッという音で外を見ると、なんとバケツをひっくり返したような激しい雷雨です。

今年は雷が多かったなと思った方、大正解です。今日のこの雷雨を入れると、東京都心で観測した雷は今年24日です。実は統計を取り始めた1916年以降では最多です。1920年の23日を88年ぶりに更新しました。ちなみに年間平均値は約11日だそうです。

さてマスコミでは局地的豪雨をゲリラ豪雨と呼んでいます。そして1時間に100ミリを超える極端な豪雨は日本ではこの30年間で2.3倍に増加しているそうです。ヒートアイランド現象として都市の高層ビル群から立ち上がった熱気が海風とぶつかり、急激に積乱雲を発達させ、人口密度の高い住民の住む街に豪雨が襲うという流れが想像できます。つまり人間が作り出した文明の影響といえるかもしれません。もし原因が人間の活動であるならば、私たちにもそれを止める責任は生じてくるのです。

地球温暖化の問題も含め、人間の活動が原因による地球規模での気候変動がまわり出してしまう前に、私たちが地球規模で行動していくことが必要ですね。

 一ヶ月前の9月17日(水)に、前理事長・幼稚園園長「小野ミヅヱ先生お別れの会」が第一体育館にて執り行なわれました。
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園児・児童・生徒・教職員代表が「お別れの言葉」で、60年以上の教育活動に対し想い出を語り、参加者全員による献花でお別れとなりました。
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 10月26日(日)に幼稚園運動会が本校グランドにおいて開催されました。
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 当日は9時より開会式が始まりましたが、途中で雨が降り出しました。急遽体育館にて各クラス別で競技をするため、移動を開始したところ、晴れ間がのぞきグランドで最後まですることができました。
 園児には、「これは前園長先生がみんなのために晴れにしてくれたのだから、運動会が終わるまで雨は絶対に降らないです」と話しました。
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 午前中、園児・保護者共に運動会に参加し楽しい一日でした。保護者の皆様には競技運営・進行のお手伝いと後片付けまでご協力いただきありがとうございました。
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 10月12日・13日と連休に日本体育協会の公認指導者資格を取るために研修に行ってきました。4月にも2日間研修を受けこれが2回目の研修です。専門科目がバレーボールなのでその指導者の公認資格を取得するためです。今回の研修は全国の指導者が対象なのでいろいろ遠方から来ている先生方と一緒に受講することができ大変勉強になりました。二日間みっちり講義と実技とを受けさすがに次の日から筋肉痛になりました。

 これまでにも、自分ではいろいろと勉強はしてきたつもりですが、やはりまだまだ勉強不足だなと思うことがたくさんありました。また、いつもは生徒に実技を指導する立場ですが、今度は指導される立場になるといろいろと感じることがあり、このように指示を出した方がいいなとか、このように教えてもらえると分かりやすいし上達が早いなどたくさんの発見がありました。そして、実技の試験があり久しぶりに緊張もしましたし、宿題としてレポート提出があり生徒の気持ちもが分かったような気がしました。

 2日間を通して感じたことは、指導者としてこれが完璧だと思わず常に研究をし続ける姿勢が大切であるし教えることの難しさというものをあらためて感じました。

 

 少(わか)くして学べば、則(すなわ)ち壮にして為(な)すこと有り。壮にして学べば、則ち老いて衰(おとろ)えず。老いて学べば、則ち死して朽(く)ちず。

これは江戸時代の儒学者で佐藤一斎という人の「言志四録」という本の中に書かれてある言葉です。

 意味は「子供の頃からしっかり勉強しておけば、大人になって重要な仕事をすることが出来る。大人になってもさらに学び続ければ、老年になってもその力は衰えることがない。老年になってからもなお学ぶことをやめなければ、死んだ後も自分の業績は残りの人々にも引き継がれていく。」という意味だそうです。 

 学び続けることの大切さが少し分かった二日間でした。

体育科Mより

小野学園が大切にしている力の一つに「優しさ」があります。相手の立場に立ち、行動できるようになろうというのが目標です。

具体的にはボランティア活動を通して相手の立場に立つことを多く経験しようということになりました。そこで、今年からチャイルドスポンサーという制度を利用することにしました。発展途上国の子供達に援助する制度ではあるのですが、実在する一人の子供に援助するというところに特色があります。誰かを援助するのではなく、○○ちゃんを援助しようということになるのです。そしてそのこと手紙のやりとりもできるという制度です。

各クラスのボランティア委員を通じてどうやって援助金を集めるかから検討しました。結果、材料を購入し、袋やアクセサリーを作成し、志ら梅祭(文化祭)で販売するというという方法に決定しました。それからがたいへんです。家庭科の教員の指導のもと、慣れない手つきでかなりの個数をこなしました。クラスクラブの準備と平行して実施したので、生徒達はかなりたいへんだったと思います。Dsc_0030_180x120

売れるか売れないか心配しながら志ら梅祭当日を迎えました。2日間の売り上げがなんと8万円を超え、材料費を除いて予定の援助金を送金することができました。よく頑張ったと思います。

今回援助をする子供はマラウイの子供です。すでに本校生徒が手紙を出しています。(英語で書いたものをNPOの方が現地のことばに翻訳してくださいます。)今はその返事を待っているところです。

教頭 長谷

スポーツの秋・芸術の秋・読書の秋・・・・・食欲の秋

今年はちょっと違った、『科学の秋』はいかがでしょうか?

先日、日本人4名のノーベル賞受賞という明るい報道があったことはご存じですよね。

ところで、ノーベル賞とはどんな賞か、ここで確認しましょう。

簡単に言えば、ダイナマイトを発明したアルフレッド・ノーベルが自分の遺産を物理・化学・生理医学・文学・平和の5部門に対して貢献のあった者に賞を与えるという遺言を残し、現在もノーベル財団が運営をしています。

 日本の4名の先生方は、テレビでも紹介をされていますが、個性豊かな

物理化学賞の南部陽一郎先生・小林誠先生・益川敏英先生

化学賞の下村脩先生です。

南部先生は、東京帝国大学(東京大学)卒業で、1970年にはアメリカ合衆国の国籍を取得し、現在はシカゴ大学の名誉教授として研究を続けていらっしゃいます。従って、正式にはアメリカの研究者としての受賞者だそうです。何と87歳、最年長者受賞者です。 

小林先生は、従兄(いとこ)に内閣総理大臣を務めた海部俊樹さんトヨタ自動車の副社長を務めた小林茂勝さんなど、ご家族も錚々たる経歴です。

益川先生は、テレビでも楽しく紹介されていますが、私の中で一番近いと感じたのは、【英語が苦手】ノーベル賞を受賞する先生は、当然論文は英文で書くのが当たり前なのに、また、『授賞式で英語のスピーチはされるのですか?』との記者の質問に、『スピーチがあるなら授賞式には行かない』と言う言葉にさらに共感してしまいました。

下村先生は、アメリカのボストン大学で研究をされていて、初めてテレビでお顔を拝見したとき日本の方?と思うほど彫りが深く驚きました。オワンクラゲの緑色蛍光タンパク質の発見での受賞ですが、私がクラゲという言葉で思い出されるのは、2年前サマースクールで行った岩井海岸で出会ったカツオノエボシという青く美しいクラゲです。美しいものには毒があるとの通り、クラスの生徒が刺されて痛い思いをしたことがどうしても忘れられません。

先生方のエピソードを聞くに連れ、やはり学問に対しての考え方の大いなる違いと情熱を感じます。

現在までにノーベル賞を受賞した日本人は、15名一番受賞者が多いのは、アメリカ合衆国続いてイギリス・ドイツ・フランス・・・日本は7位だそうです。

では、女性の受賞者は、日本人は0人全体でも11名、皆さんも知っているマリ・キュリー(キュリー夫人)は、1903年物理学賞と1911年化学賞の2回受賞しています。

全体の数は少ないですが、2回の受賞をしている人は、他に3名だけです。女性が科学者に向いていないのではなく、まだその分野で研究に携わっている人が少ないのでは無いかと思います。・・・・・私の勝手な推測

 この秋、どうしてかな・何でかなを科学的に研究してみてはいかがですか?

ノーベル賞とは言わなくても、問題を解決するプロセスは楽しいことだと思います。

私も次のサイエンスラボに参加してみようと考えています。

好奇心旺盛な家庭科のIより

10月4日・5日に本校の文化祭、「志ら梅祭」が行われました。来てくださった方ありがとうございました。今日は、一般の方々にあまり知られていないこと、または、公開していない志ら梅祭について書いてみたいと思います。

その1 御神輿に込めた思い

今年のテーマは「祭り」です。といってもテーマを設定して実施する志ら梅祭は今年で2回目。しかも幼稚園・小学校・中学高等学校共通でテーマを設定したのは今年がはじめてでした。幼稚園児は提灯を、小学生はうちわを、中・高生は御神輿を作りました。そんなことからこの御神輿にはある思いがこもっています。写真をよく見てください。この御神輿には小野学園全体のシンボルマークの○があります。この○を拡大したのが横の写真です。そうです。この○は幼・小・中高生徒の写真で作った○なのです。全体一丸となっての文化祭ということで生徒会の生徒が中心になって作成したものです。

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その2 オープニングセレモニー

一般公開の前日10/3、在籍生だけの行事、オープニングセレモニーが開かれました。いわゆる前夜祭にあたるものです。しかし、ちょっと変わっているところがあります。ただ盛り上がろうというものではないのです。参加団体はCMの作成が義務づけられています。ただ展示や販売をするのではなく、どこに特色があって何を訴えたいのかを問われるのがCM作成です。写真はお菓子作りクラブが作成したCMの一コマです。ボールと鍋が今年作るお菓子について悩んでいたところ、泡立て器の神様が、神の啓示を告げ、作るものが決まるというストーリーでした。そのヨコの写真はやっぱり盛り上がるにはこれ。風船カウントダウンの風景です。

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その3 クロージングセレモニー

志ら梅祭2日目、10/5の17:00からクロージングセレモニー、いわゆる後夜祭が開かれました。メインは中延商店街からお借りしたねぶたを舞台に飾り、商店街の方のお囃子にのって「跳人」となって一緒に跳ねました。学校中に「らっせーらー らっせーらー」のかけ声が響き渡り、最後、会場が暗くなりライトアップしたときには生徒の盛り上がりが頂点に達しました。                                                                                     

                                     

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その4 宝物

最後に、われわれ教員にとっての宝物です。志ら梅祭が終了して、職員最終打ち合わせの時、必ず生徒会長と文化祭実行委員長が職員室に来てお礼のことばを述べます。そして、感謝を込めてということで、手作りの記念品をくれるのです。「いつこんなのつくるひまがあったのだろう」 最初はそう思いましたが、おそらく暇があったのではなく、わざわざ時間を作ったのだと思います。ことしはテーマにちなんではっぴのキーホルダーです。これも毎年必ずですが、教員一人一人の名前が書いてあるのです。他校の先生に大声で自慢したいくらいです。われわれ教員も生徒に感謝です。  教頭 長谷

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 今年も変わらず秋がやってきました。最近は、お天気の動きが激しくなってきたといわれていますが、例年どおり夏のあとに秋が訪れてきたことに、少しばかりホッとする思いがします。秋になると、多くの学校で文化祭あるいは学園祭が開催されます。先週の10月4日・5日に実施された本校の文化祭は、志ら梅祭と呼ばれ、長い歴史を重ねています。

9月初旬のさる日曜日に、ある高校の文化祭に出かけてきました。志ら梅祭に何か参考になる催しなどはないものか・・・。職業がらですね、そのような思いが頭から離れることがないのは。ヒップホップのダンス、創作劇の発表、吹奏楽の演奏など、大がかりで華やかなステージに魅了されたり、焼きそば屋、たこ焼き屋、クレープ屋の食べ物サービスのひたむきさに感心したり、いろいろなクラブ活動をパネルや、実演を通して紹介してくれたりする生徒さんと話したりと、テレビや映画の空間では味わえない感覚に浸ることができました。

小雨に打たれるカエデの葉っぱが窓越しに眺められる教室に入ると、白衣を着た四、五人の生徒さんが頭を下げて迎えてくれました。実験台が中央に置かれ、その上に大小、多種類のサボテンが展示されていました。そこは理科クラブのコーナーで、サボテンの観察・研究を紹介しているのです。サボテンのほとんどはいろいろなトゲを身にまとい、微動だにせずそこに展示されていました。自宅のベランダにも半ば放置されたサボテンが十年以上も生育しています。そのサボテンと同じように黙ってそこで生きています。担当の生徒さんがパネルを指しながら説明してくれました。

「とにかく丈夫です。大きい傷を受けてもサボテンはまた育っていきます」

体長何メートルにもおよぶものもあり、食用にされることもあるとのこと。帰り際に、小さな小さなサボテンをもらいました。小指の先半分ほどのサボテンです。ミルクやシロップを入れる小さな容器に粗砂を詰めて鉢にして、そこにサボテンが糸のような根を生やしています。持ち運びで傷つかないようにペットボトルの蓋を被せてテープで固定してくれました。なるほどずいぶんと工夫してくれたものだと感心しながら、バッグにいれました。

そのサボテンは今食卓脇に置かれています。サボテンをよく見ると、熱気球の膨らんだあの姿をそのまま縮めた形をしています。産毛のようなトゲが銀色に輝いています。小さなサボテン鉢を指でつまみ上げたとき、昔大ヒットした歌“サボテンの花”がテレビから聞こえてきました。チューリップというグループの曲です。青春の哀しい、つらい歌です。チャンスがあったら聞いてみてください。寡黙で地味なサボテンが生命力の象徴として響いてくるかもしれません。

毎年、毎年、文化祭は繰り返されていきます。それを支える原動力のような存在があることに、ふと気付かされた思いでした。「文化」とは、実は日常の私たちの生活の根っこを支えてくれるもの。見えないけれども確実にある力。サボテンのように地味で目立たなくても生きていこうとしている力もその一つではないでしょうか。私たちの身の回り、しかもすごく身近な人たちから、サボテンのような力をもらっているのではないでしょうか。ただそのことに気付くことは難しいかもしれません。何しろ、サボテンにはトゲがありますから・・・。

化学室のフラスコより

 社会科のSです。先日、朝の職員朝礼のときのスピーチである先生が「感動をともなうと記憶にとどまる」といった内容のスピーチをされていました。
 私たち教員にとって、このような授業をすることが理想だといえます。ですが、どんな美味しいものも毎日食べていれば飽きが来ます。やはりたまに食べるからこそ有難みがあります。ですから感動する授業というのもたまにあるからこそ価値があるのであり、現状の中でいかに生徒を感動させられるかという努力こそが大切なんだと考えました。
 2週間ほど前、中学生の歴史の授業でのこと、鎌倉時代の武士の生活に関する単元で、実際に弓矢を持ち込みました。この単元では武士たちが弓馬の訓練のために行った流鏑馬・笠懸・犬追物というゲームの解説をしなくてはなりません。そのための教材として弓矢を用意しました。弓矢といっても現在の弓道で用いる競技用のものですが、それでも本物は本物です。競技用の鏃(やじり)はステンレス製の尖っていないものなので、鏃だけは江戸時代に作られた骨董品を用意しました。現在の日本語には鎌倉時代の弓術に関係する言葉が生きています。弦を引くときに使う掛(かけ)という鹿皮製の手袋のような道具は個々人の手の形に合わなければならないので他人のものでの代用が不可能なところから、「掛け替えの無い」ということばが生まれました。また弓の上下の先端にある弦を固定する部分と矢の一番後ろにあって弦を挟んで固定する部分を筈(はず)といいます。筈によって固定されるところから確かなことを「〜のはずだ」と今でも言います。12世紀に登場する合わせ弓という2種類以上の木材を張り合わせて作る弓があります。『平家物語』などに登場する「重籐の弓」がその代表例です。現在の弓は全て合わせ弓ですが、接着剤としてニベという魚の内臓からつくったにかわをつかいます。ニベがないとくっつかないところから、取り付く島が無いことを「ニベも無い」といいます。このように武士の世界で用いられていた用語が今の日本語に残されているところから、日本の歴史の中で武士が果たした役割がいかに大きかったかを伝えたました。
 上記のように書きましたが、実際に触れて体験してもらうことがなにより最大の目的です。これは単純に「興味づけ」のために行なっているわけではありません。日本の教育は古くから文字によって習得するものと考えられています。教育行政を担当する役所が明治時代に文部省と命名されたのもそのためです。博物館学芸員の資格を持つ私は、大学時代の博物館学の授業で、欧州ではアレクサンドロス大王の時代、すでに博物館と図書館を複合したムゼイオン(ミュージアムの語源)という教育機関があったことや、モノ教材によって学習することではじめて理解ができることがあると学びました。ですから、弓矢に限らず、モノ教材を用いる私の授業は博物館学の実践でもあるのです。
H201002  まず、副教材に鎌倉時代に描かれた絵巻物『男衾三郎絵巻』の一節で、3人がかりで弓に弦を張っている場面がありますので、希望者をつのって弦を張ってもらいました。最初は2人がかりで挑戦し、結果的には3人がかりでも弦を張ることはできませんでした。弦は私が張りました。その後、危険なので矢は番(つが)えない状態ですが、弓を引く体験をしてもらいました。かなりおっかなびっくりに引いていました。「弓を引くどころか、弦を張ることすらできなかった」という体験よって、後世の足軽が使う槍などと違い、弓矢を使いこなすのにいかに訓練が必要かを実体験してもらいました。こうすると少数精鋭の鎌倉時代から、戦国時代の槍を持った足軽中心の集団戦への移り変わりが理解しやすくなります。また弓矢そのものの長大さを実感するのも大変です。当然、木の枝がひっかかるような山の中では使いにくいので、鎌倉末期に楠木正成のような悪党が山の中に立てこもることで数万の幕府軍に対抗できたのも理解できます。
 あとで担任の先生から聞いたところ、教室では弓矢の話で持ちきりだったそうです。また翌日提出した≪生活ノート≫にも、弓矢の授業のことがたくさん書いてあったそうです。私にとって、教員をやっていてよかったと思える嬉しい経験でした。歴史の授業は遠い昔に消え去ったものと現代とのつながりを知り、その先の未来に向かって生きるための判断材料とすることに目的があります。しかし、教える教員自体が見たこともない昔のことをイメージしてもらうのは大変です。百聞は一見に如ず。少しでも遺物などを見たり触ってもらいたいと考え、そういう機会をつくるようにしています。今回はそれがうまくいったのではないかと自信が沸きました。ただ珍しい、楽しいというだけでもそれは感動だと思います。10年後、20年後、たとえ私の名前は忘れていてもかまわないですが、弓を引いたときの感触は覚えていてほしいと思いました。