2009年6月アーカイブ

先日、コンビニエンスストアによった時の事です。棚の一番前の目立つところに『幸運を呼びよせる朝の習慣』という本が陳列されていました。思わず手にしてみると、「いいことが起こる香りつき」とありました。しかも「確実に運がよくなる52の魔法」と書いてあり、「そんなにあるわけないじゃない」と思いながらもレジに並んで財布を開いていました。

 早速電車で読み始め、ツメでこすると香りがするページを開けて人目を気にしながらやってみました。すると不思議なもので爽やかなグレープフルーツの香りがしました。次に何が続くのだろうとわくわくしながら、数時間で、読み切ってしまいました。

この本の内容を簡単に説明すると、脳と五感をつかって、理にかなった方法で幸せ感をコントロールする本です。52の方法は誰もが実践できる簡単なものです。その中で私が実践しているものを1つ紹介したいと思います。

 「朝の光で目覚める」太陽の光とひとくちにいっても、朝の光、日中の光、夕刻の光はまったく違います。波長が違うのです。太陽スペクトルが違うのです。日出の直後の太陽光には生命エネルギーを高める作用があるそうです。地平線や水平線から昇ってくる太陽を目のあたりにしたとき、人は思わず合唱したりします。感受性の強い人は涙があふれます。これは、朝の光のシャワーによって、脳内にハピネスホルモンのセロトニンが激しく分泌されるためです。

 一方、朝の太陽光を目に取り込むと、脳内の松果体から出るメラトニン(睡眠ホルモン)が抑制されて、25時間の体内時計がリセットされます。ほうっておくと、どんどん生活は夜型にずれていくのです。

 早起きして太陽光を浴びる習慣を持つことは、健康な体、健康な精神、健康な経済の3つを実現するための大前提です。

是非お試し下さい。

              参考文献『幸運を呼びよせる朝の習慣』 中経出版

K,Fより

5月の末頃から蒸し暑い日が続いていましたが、関東地方もついに梅雨入りしました。

さて、今回は本当に何も思い浮かばず、大きな出来事もないので、毎日記入している日記を参考に、1995年から2009年までの15年間の6月18日(ブログ投稿日)を振り返ってみたいと思います。

天気

主な内容

夕食

1995

平成 7年(日)

 晴れ

山梨の友人の結婚式に出席 

10:04あずさ(2号?)

お刺身

1996

平成 8年(火)

曇り/大雨

風が強い1日 1A補習する

焼き鳥

1997

平成 9年(水)

曇り/晴れ

放課後生徒補習 

焼き魚 

1998

平成10年(木)

晴れ・不快

水泳大会予選 放課後奈良

・京都修学旅行準備

ハンバーグ 

1999

平成11年(金)

曇り/雨

寒い1日 教育実習生 職員会議

焼き魚 

2000

平成12年(日)

小雨/曇り

田舎で法事 久しぶりに姉妹勢ぞろい

寿司 

2001

平成13年(月)

晴れ28℃

暑くて大変な1日 アイスクリーム3個食べる

とこぶし 

2002

平成14年(火)

大雨

塾説明会 サッカー、トルコに負ける

オムレツ

2003

平成15年(水)

曇り/雨

球技大会延期 生徒集中せず授業にならない

焼き魚

2004

平成16年(金)

晴れ

放課後漢字検定

カレー 

2005

平成17年(土)

晴れ

授業参観 進路講演会 保護者会 数学検定 

忙しい

煮魚

2006

平成18年(日)

 ?

体調悪く 『辛い』の一言のみ・・・

 ?

2007

平成19年(月)

晴れ

塾説準備 広報委員新聞作り終わらず 

明日7:15

お刺身 

2008

平成20年(水)

晴れ・不快

シンボルフラッグなんとか完成

ポークソテー 

2009

平成21年(木)

晴れ

穏やかで心安らぐ1日

ちらし寿司

天気に関して、梅雨の時期なのに雨よりも晴れの日が多いのに驚きました。また、疲れているのか、日記が1行で終わっている日もあります。そしてやはり自分で反省しなければいけないのは、夕食です。15回の夕食中、半分以上がただ焼くだけの焼き魚、お皿に盛るだけのお刺身。(魚をおろすのではありません、切ってあるものをお皿に移すだけ)かなりいい加減…。この1週間は頑張って、夕食を準備しようと思います。(実行するぞ!)主な内容がほとんど学校のことというのは、いいことのような寂しいような…。

本日は6月15日です。実は2009年の6月18日はこれを書いているときはまだ終わっていないのです。2009年6月18日の天気、主な出来事、夕食は私の希望です。

希望通りになっていることを期待します。結果は次のブログで…?(また順番が回って来るのかな?)

お疲れ気味の N.Y.

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 生徒は校外学習が終わった後に感想や新発見したことなどをまとめて教えてくれます。これは3年生全員が沖縄修学旅行の後で、書いてくれたお礼やアンケート結果です。
 その中に「声をかけてくださって、ありがとうございました。」という言葉が書いてありました。普段は教室で直接教えることもないので、なかなか「声をかけて生徒を理解する」時間がありません。しかし、修学旅行のような校外学習で、多くの生徒と一緒に生活を共にしていると、本当に生徒のことがよくわかり、楽しく又勉強にもなる貴重な時間です。

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 飛行機の中や移動バスで、学校生活のことや、クラス委員の大変さを聞いたり、このように写真と一緒に御礼の手紙も持ってきてくれます。
 生徒の真の姿を見ることができ、又、本音を聞くことができる校外学習はとても大切な「時間」です。この貴重な時間をこれからもたくさんつくっていきたいと思います。

 

こんにちは。笛吹かえるです。

みなさん、読書は好きですか?私は本を読むのが大好きです。むしろ活字中毒です!

せっかちな性格なので、ミステリーものは途中で栞をはさむことがなかなかできず、夜遅くまで読み進めてしまうこともしばしば。電車の中とかは文庫本がないと退屈。

中学時代は「推薦図書」などをおとなしく読み、やや斜に構えていた高校時代は太宰治、三島由紀夫など、大学時代は法学部なのに、なぜか源氏物語や古事記など世界にどっぷりつかり、その後は横溝正史シリーズ(犬神家の一族とか)を読破し、最近は東野圭吾(容疑者Xの献身など)や海堂尊(チーム・バチスタの栄光やジェネラル・ルージュの凱旋など)がお気に入りという、いわゆる「乱読・雑読」のタイプです。

 

何で本を読むのか?

それは楽しいから、おもしろいからなのですが、本から得るものは本当にたくさんあります。知識もそうですが自分自身の想像の世界が広がります。社会科という教科は、授業中にさまざまな豆知識や雑学などの小ネタを披露する機会が多くあります。生徒が「へえ〜・・」と言ってくれたりすると、嬉しくなって、ますますネタの仕込みに熱が入ります。(昔「トリビアの泉」という番組で使っていた「へえ〜へえ〜ボタン」なる品物を本気で購入しようかと考えた時期もありました)

生徒は「先生、何でそんなにいろんなこと知ってるの?」と聞きますが、そこは冷静に「社会の先生だからだよ」と答えます。でも、本当の理由は、たくさん本を読んで自分自身の引き出しにいろいろしまってあるからなんです。

 

今から十年以上前、社会科のある先生が、日本史の授業で戦後史の授業をしていたそうです。戦争中の話があまりにリアルだったのでしょうか。生徒は「先生、その時代に生きてたの?」を聞いたそうです。その先生は戦後生まれで、当然戦時中の記憶はないのですが、本や映像などから多くの知識を得ていたのだと思います。「社会科はまるでみてきたかのようにものを言い」という言葉があるそうですが、まさに生徒が誤解するほどのリアルな話の正体はその先生のたくさんの読書をはじめとする知識の収集だったと思います。

 

本は文庫本なら1冊600円程度。コーヒー1杯の値段で、いろいろな人物に会え、いろいろな国を訪問し、過去にも未来にも行くことができます。想像の中で世界が無限に広がっていきます。たまには喫茶店で飲むコーヒーを我慢して、1冊本を買ってみる・・・・。みなさんも、いかがでしょうか。

 

これからの季節、梅雨で毎日しとしと雨が降りますが、何もすることのない(ないことにする)休日、お茶とお菓子を手元に用意して、静かな雨音をききながら、好きなだけ本を読む。こんな1日を過ごしてみたいと思っています。

診察台に寝かされた私は泣いていた。思えば人生の折々で幾多の涙を縷々流してきたものだ。悲しみの涙、悔し涙、感涙、辛くて泣けるときもあった。説明のつかない涙もあった。マンガを読んで泣いた。しかし、今回ばかりはただただ怖くて泣けるのだった。

 「5分を大切にする」「棺おけの蓋が閉まるまであきらめない」をモットーに痛みを押して突っ走る私を、バイ菌君(虫歯)は攻撃の手を緩めずいたぶり続け、このたび全面降伏(手術)に至ったのだった。病名は上顎洞炎、西大井の歯医者さんの手には負えず、大学病院に回された。糸切り歯の根っこからばい菌が上顎洞(鼻の横)に広がったのだ。

 手術の様子が見えないように、口の部分だけ穴の開いたデストロイヤーの如き布切れを顔に被せ、麻酔の注射をし、いったん医師たちは引き上げていった。一人取り残された私は孤独の中、恐怖はピークに達し、混乱した。悪夢だ。もしも途中で麻酔が切れたら…。もしも地震が起きたら…。お母さーん!!

やがて医師たちが戻ってきたが、とめどなく流れる涙がデストロイヤー式マスクの口に伝わり、泣いているのを先生や看護婦さんに気づかれてしまうことを私は恐れた。

非情にもオペは始まった。

目は見えず、麻酔で感覚を失っているので一体全体何がどうなっているのかよくわからないが、麻酔の効いていない方の上唇がひどく引っ張られる。ピンで留めているらしい。唇べろんちょ大作戦である。上唇の奥と歯茎の部分を切り離し顔の皮を捲り上げて、患部の骨を削るのだ。能天気な私は、手術は15分くらいかなと思っていたのだが、先刻40分と告げられ椅子からずり落ちた。

 この状況下、防御とはすなわち渾身の力を込めることであるが、抗うことを諦め、蹂躙される人のように、私は身も心も投げ出していた。しかし、身体の一部の機能を失うと他の機能がめざましく働くと聞くが、こういうことなのか、全神経は研ぎ澄まされ五感ならぬ四感は、読み取れる限りのデータを脳の集積機能に送り込み、想像力という神の賜物の力を得て、今この身に何が起こっているのかを私に知らしめる(コノ場合ノ“私”トハ何者ナノカ?)。冷静なる悪鬼が如き担当医はごう音と振動を伴う、恐らくは電動のこぎりで私の尊厳を切り刻む。

 このまま気を失ってしまいたい…。何度もそう願った。

 おお、世の母親たちよ!!あなたたちは偉大だ。不安と痛みと恐怖と畏れとを一人で引き受け、立ち向かい、新たなる生命を産み落とすのだ。生きとし生けるもの全てはその重みを受け止めるべきである。

 また病人はもちろん、お年寄りや体の不自由な人への配慮を忘れてはならぬ。病魔に冒され(虫歯とはいえ)診察台の上で改めて気づくのは、いたわりの心であった。家族が同じような手術をした時もっと優しくしてあげればよかったな、そんな後悔が心をよぎる。

 太い糸の感触で、手術のフィニッシュを知った。

 帰途につき、すでに腫れと熱を帯び始めた頬に手をあてながら、私の頭は医療問題へと発展する。医師不足と医療崩壊が問題となっている。また所得の格差は医療を受けられない人々を生み、生きる権利を剥奪される現実がある。これからは医療の問題にもっと関心を持つようにしよう、と心に誓う。

 さて、まだ腫れの引かぬ情けないマスク姿の私に、生徒たちは明るくさわやかに声を掛けてくれる。“ご飯は食べられるのか”と心配そうに顔を覗き込む。素直で優しい生徒たちに涙がまた滲む。先生方にもご迷惑をおかけしました。悪鬼がごとく、と書きましたが、S先生感謝しています。       (国語科 YN)