2010年3月アーカイブ

 3月24日(水) 朝から冷たい雨です。
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冬に逆戻りしましたが、のつぼみは膨らんで小野学園も一部で開花しました。
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 このまま順調に咲くと、一週間後には満開です。 
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 3月23日(火) 東京もが開花して、の暖かな朝です。今日は平成21年度の中・高の修了式です。
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 小野学園の噴水前のの開花予想。桜の蕾は大きく膨らんでいますが、まだ開花していません。
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 校庭の芝生の緑をバックに、の蕾もピンク色です。入学式には満開になっている事でしょう。
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 3月14日(日) 中学・高等学校の卒業式の後、品川プリンスホテルに於いて、生徒手作りの「謝恩会」が開かれました。
 お習字の即興で梅の花と、「清く、正しく、美しく」を書き上げました。
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 諸先生方、お世話になった方々の「」に「感謝」する 、心のこもった会でした。
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 生徒たちの謝恩の向こうには、未来への希望の光が輝いていました。  
 
 

 3月14日(日) 校庭の芝生の緑も、春の兆しと共に一段とその濃さを増してきました。小野学園女子中学校第63回女子高等学校第61回の「卒業証書授与式」が行われました。
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 中学校3年生と高等学校3年生の「制服」は今年で最後です。20年以上見慣れた「制服」ともお別れです。
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 保護者の方から、「仰げば尊し」と「蛍の光」の卒業式がとても新鮮に感じられました、と感想をいただきました。

社会科のOです。
少し前ですが、古書店で明治時代の教科書を見つけ、購入しました。
8冊購入したのですが、その一部をご紹介し、感じたことを書いてみたいと思います。

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明治8年(1875)の小学校の教科書です。和紙でできています。
どんな時代だったかというと、この年の5月にロシアと樺太・千島交換条約が結ばれているので、まだ日本という国と外国との国境も定かでない時期ということになります。また平民の中には苗字を名乗っていない人もいました(全国民が苗字をもつのはこの年の2月です)。 教育史では学制が発布されて小学校の設置がはじまったのが明治5年(1872)ですので、近代の教科書の中でも本当に初期のものです。このころは学校に行っている子どもは全体の40%にも足りず、学校に行くだけでも大変な上に、教科書が買える(買おうという意識のある)家庭が少なかったので、授業はほとんど掛図でおこなわれていました。ですから非常に希少なもので、私が購入したときの価格は、明治20年代の教科書の10倍以上です。

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内容を見ると、上の4枚の写真の通り、掛け算の九九、ものの名前、熟語(2枚目の写真に見える「タンク」という墨書の書き込みから「単句」とよんでいたようです)、図形や色などなんでも入っており、一冊の教科書で体操(体育)以外の全教科が学べるようになっています。4年後の明治12年(1879)に出された教育令で、義務教育が4年間で最低16ヶ月と定められた(つまり農閑期にしか学校に行っていない)くらいなので、これで十分だったのと、教科書を教科ごとにそろえるのが難しかったからでしょう。

この教科書は中学2年生の歴史の授業で生徒にも触れてもらいましたが、「小学生がこんなに難しい字を習っていたなんて」という驚きの声が最も多かったです。

次に社会科の教員として興味があるのが、歴史の教科書です。
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これは明治27年(1894)の教科書です。
これも和紙でできています。難しいので少なくとも尋常小学校の教科書ではないようです。
日清戦争がはじまった年で、このころからようやく掛図ではなく教科書中心の授業が一般化しました。
写真をご覧いただくとわかるように、原始時代からはじまるのではなく、皇室の祖先神の神話からはじまっています。いわゆる皇国史観ということばが頭をよぎりましたが、意図的に天皇制を強調したというよりも、こんな歴史教科書しかつくれなかったのだと思います。そう思った理由は以下の通りです。
この教科書の「巻之二」は鎌倉時代からはじまりますが、ここには「頼朝、大江広元の策を用ひ、義経を捕ふるを名とし、奏して諸国に守護を、荘園に地頭を置き、」と記されています。これは鎌倉幕府の関係者が書いた歴史書『吾妻鏡』の内容を要約したもので、現在の歴史教科書とは相違する内容が含まれています。守護・地頭に関する近代歴史学の研究の最初は、星野恒(ひさし)という研究者が明治34年(1901)に『史学会雑誌』に掲載した「守護地頭考」という論文をです。これよりも前であるため、教科書には『吾妻鏡』の要約を載せるしかなかったのでしょう。同じ視点で日本のはじまりのところを考えて見ます。モースが大森貝塚を発見したのが明治10年(1877)で報告書はその2年後です。向ヶ岡弥生町貝塚から弥生土器が発見されたのが明治17年(1884)です。つまり、縄文時代という時代が発見されたのがこの教科書の17年前。弥生時代という時代が発見されたのはわずか10年前です。教科書を縄文時代からはじめるほど研究は進んでいないでしょう。歴史学の研究が未熟だったため、『日本書紀』の要約を掲載するしかなかったのだと思います。
授業で明治初期に徴兵制がはじまったときのことを話していると、生徒は「『お国のために!』と言って徴兵されるのを喜ばなければいけなかったんですよね」と言います。どうも明治・大正という時代は昭和の戦前期とひとくくりのイメージを持ってしまっているようで、このような神話からはじまる教科書をみると皇国史観を強要したと思いがちです。教科書国定制がはじまる明治36年(1903)年より前は教育勅語による忠君愛国思想の強要はあっても、国家による教科書への統制はほとんどなかったはずです。明治時代は国家そのものが未熟であったゆえに、生徒のイメージよりも自由な時代だったということを伝えていきたいと思いました。

2つの教科書を紹介しましたが、両方とも墨書で氏名だけでなく住所まで書いてあります。そして同じ苗字の複数の子どもの名が書き込まれています。明治20年代になっても、まだ教科書が高価で、弟や親戚の子どもがお古を使っていたことが分かります。ちなみに明治27年の教科書に書き込まれていた最後の字は「明治三十五年」です。8年前のお古の教科書をつかっていた子どもがいたわけです。
教科書が無料で支給される現代がいかに有難いかと実感できました。
 


 3月13日(土) 春のように暖かい卒業式の前の土曜日です。
 明日は卒業式。体育館に「卒業」という言葉がひびきます。
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 成し遂げた時の達成感と、別れることの悲しさと、スタートする日の喜びが、「卒業」という言葉の中にひびきます。

 3月11日(木) 今日は暖かな青空が広がる、気持ちのよい朝です。
 午前9時より在校生の手作りの「送別会」が第二体育館で行われました。
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 吹奏楽部の演奏や創作ダンス、在校生からの「LOVE MESSAGE」等の心温まる送別の会でした。

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 卒業生の涙!涙!涙!の感動の送別会でした。
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 先日のことでした。とある店で食事をしたときのこと。注文してしばらく経ってからテーブルに出てきたものは、私が頼んだものとは違っていました。そこで、自分の頼んだものとは違うよ、と指摘したのですが、店員は「少々お待ち下さい」と言ってオーダーを確認。少し経ってから、私が頼んだものを持ってきました。
 さらに、食事が済んで支払いのときのこと。予想していたよりも、とても少ない金額を告げられました。念のため、「○○も頼んでいるよ」と言ったところ、また「少々お待ち下さい」と言い、計算のし直し。計算が終わったところで「○○円になります」と言われました。
 そんなやりとりが合って、店を出てきたのですが、私自身、とっても腑に落ちない気持ちになりました。
 さて、それはなぜでしょうか?

 答えは、2度とも「すいません」の一言がなかったからです。人間ですから、間違えることはあります。しかし、お客である私の立場からすれば、自分には何の非もない状態で、しかも2度目は相手が損をしないですむようにしたのです。一言、お詫びであったりお礼があって然(しか)るべきだと思います。……と、偉そうなことを書きましたが、振り返って自分はどうだろう?と考えると、「一言」を言わずに終わってしまうこともあるなあ、と我が身を反省しました。
 「すいません」以外にも「ありがとう」「おめでとう」など、その一言で、人と人との関わりが深まることがあります。その場その場で、相手の立場になり、適切な「一言」を言える人になろう、と改めて考えた国語科のIでした。

 3月6日(土) 午前中は新中学生、午後は新高校生のための、新入生学校生活説明会が開催されました。
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 「私たちの学園生活」について、在校生の代表が写真を使って紹介しました。新入生の皆さん、楽しく充実した学校生活をおくりましょう。新年度4月から、私たちと一緒に小野学園の学校生活をおくりましょう。
 3月2日(火) 理科教育小野学園として、教職員も理科を学ぶ研修を行いました。
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 京都大学の北原先生の指導のもと、「ロボットに挑戦」です。サッカーロボットマイコンを一からプログラミングします。
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 教職員二人一組みでコミュニケーションをとりながら、作り上げたサッカーロボットで対戦です。勝負がかかると皆熱くなります。
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 自分のロボットを、自由に動かすようにプログラミングする難しさを学びました。また、二人一組みで仕事をするのに、コミュニケーションの大切さも学びました。

 3月2日(火) 今年度のS.S.H.(スーパーサイエンスハイスクール)のヒアリングとプレゼンテーションが、上野のJ.S.T.(科学技術振興機構)ビルで行われました。
 今年の小野学園のテーマは「都市におけるホタルの自生」です。テーマの主体がが「生物」なので、ヒアリングでは、何がスーパーサイエンスなのか?なぜホタルなのか?を説明するのに重点を置きました。

こんにちは、ストレッチ大好きなNです。

皆さんは日頃から快適な運動をしていますか。

現在、我が家の子供達が体操とサッカーを習っていますが、技術の向上を目指すために家庭でもできる事をしようということで、筋肉や関節のストレッチをしています。

柔らかい筋肉は疲労回復とケガ防止に繋がり、柔らかい関節は体の可動範囲を広げて身体を最大限に利用した運動が可能になるからです。

 

しかし、幼い体に負荷を掛けて通常のストレッチを行なうと痛みが生じて故障の原因になると思い、初期の段階でコアストレッチを始めることにしました。

コアストレッチとは、体を動かす為に必要な関節部分を柔らげることで動く範囲が広くなり、筋肉が広範囲で伸びたストレッチが行なえるのです。

 

ここで我が家が取り組んでいる(コアストレッチ)を紹介したいと思います。

コアは(芯)という意味で、身体の中心部から自在に動くようにして、部位でいうと「(けん)甲骨(こうこつ)(腕の付け根)・体幹(胴体)・股関節(脚の付け根)」を意味しています。

 

それらの効果としては、

○肩甲骨はろっ骨の背面を滑るように動き、肩甲骨のまわりの筋肉がほぐれて腕の動きがスムーズになります。

○体幹は脊柱から土台となる骨盤の間をほぐすことにより、姿勢が改善されておなかまわりの引き締めにもなり安定したボディーバランスを保つことができます。

○股関節は骨盤から下の大腿骨を前後左右に大きく動かすことで股関節まわりがほぐれ、下半身の動作が大きくなります。

 

これらのコアストレッチに取り組みながら、正しい姿勢で伸ばしたい筋肉や関節をゆっくりと毎日40分間時間を掛けて、通常のストレッチを行なうことで、苦痛を感じることなく体が柔らかくなったのです。

 

今では、子供達が柔らかい筋肉に変化して乳酸が蓄積されなくなり、運動の可動範囲が広がったことで、体操の新しい技やサッカーのプレイに挑戦しています。

更に、睡眠効果もあり、風呂上りにストレッチした後は筋肉のほぐれと血液循環が良くなり、子供たちの寝つきが良くなり熟睡するようになりました。

このようにストレッチが、体や心に対して大きな影響があることを実感しています。

是非、皆さんも挑戦して見てください。

体育科・Nより