2012年7月アーカイブ

 バレーボール部の顧問として選手を指導して25年近くなります。毎年バレー部からも卒業生が出ていますが、本校で6年間バレーボール部に所属し、卒業後は体育大学に進み今年実業団のパイオニアに入り、Vリーグ(プレミアムリーグ)でプレーしている選手がいます。

 その選手は中学入学時には、身長が154センチぐらいでしたが、シューズのサイズは26.5㎝だったのを覚えています。きっと身長もこれから伸びるだろうと思いました。高校入学時には170㎝ぐらいでした。運動能力は普通、プレーは中学1年の頃は普通というかそれほどうまくもなくという感じでした。中学2年の時に大会に父親が応援に来てくれましたが、その頃はサーブもミスが多く父親もがっかりして帰ったといっていました。彼女が本当に伸び始めたのは高校に入ってからだと思います。エースとしてレフトで活躍していました。特にこれといった指導はした覚えはありませんが、とにかくスパイクは癖のないよう気をつけたぐらいです。むしろ、セッターの指導に気を遣っていました。エースとセッターが同じ学年でしかも6年間コンビでできたのが彼女も伸びた要因だと思います。それともう一つ伸びた要因は彼女の性格が人並み以上に素直だということだと思います。それがバレーボールの練習にものすごく出ていたと思います。教えてことに対しては素直に受け止め諦めることなく何度も反復練習をし、最後まで努力をしていました。本人が「体育大に行きバレーボールを続けたい」といったときはびっくりしましたし、Ⅰ部のチームの中でやっていけるのか心配もしました。しかし彼女は素直にバレーボールが好きでもっと上のレベルでバレーをしたいと強く思っていたのだと思います。

 大学に入学し1年生の夏休みに学校に来たことがあります。疲労骨折で練習に参加できないので後輩の指導に来たのです。そのときこれで終わるかなと心配しましたが、地道にトレーニングし復帰しました。2年生の時は試合に出場できそうなので大学のリーグを見に来てくれとパンフレットを私のところに持ってきました。私も部員を連れて何度か応援に行きました。そのプレーを見て成長したなと感激しましたし、大学でも十分やっていけるなと確信しました。

 大学4年になり本校に教育実習で来ました。授業を教えることに対しては苦戦していましたが何とか無事終了し、卒業後の進路を聞いたところ実業団でバレーボールをしたいといっていました。それから数ヶ月たった頃、電話がありパイオニアでバレーボールができそうですとうれしそうにいっていたのを覚えています。

 今思えば、彼女のこれまでのことを振り変えると、飛び抜けた運動能力があったわけでもなく、身長も大学Ⅰ部のチームの中に入ると低い方です。しかし、素直さと真面目さは私が監督をしてきた中では1番だと思います。故松下幸之助翁が立派な人間になるためには「素直な十段になりましょう。」とよく言ったと言いますが、まさしく彼女は「素直さは十段」です。

卒業生のがんばりを見て私もエネルギーをもらったような気がします。

 バレーボール部顧問Mより

7月13日に、各団体が本年度の志ら梅祭(文化祭)に参加できるか否かの関門である、企画プレゼンテーションが行われた。

 実はこのプレゼンテーションは、企画コンペである。各クラス企画書を提出し、それをもとに教員達に自分たちの催し物がいかに有意義なものかをプレゼンするのだ。模造紙で説明する者あり、パワポを使う者もいる。当然綿密に練られた企画でなくてはならず、筋の通っていない企画や、曖昧なものは鋭いつっこみが入る。

H240713志ら梅祭プレゼン 011

生徒の口からこの企画の「背景」とか、「数値目標」などと言う言葉が出てくるとビジネスシーンのようでびっくりするが、そこが小野学園の企画プレゼンテーションなのだ。

H240713志ら梅祭プレゼン 014

さて、我がクラスは「ベルギー」をテーマに大変美味しいワッフルと、挽き立てのコーヒーを味わっていただこうと企画しているようだ。商品の種類や販売価格の根拠を尋ねると、しっかりアンケートを採っており、高校生になるとマーケティングもできるようになるんだなぁとその成長に感心した1日だった。

H240713志ら梅祭プレゼン 081

数学科 N

6月が過ぎるころになると、からりとした夏空を期待したりするものだ。こんどの夏はどうなのだろうか。暑さのことである。節電対策も必要だ。できることなら、雪でも降ってくれないものだろうか、などと雪のことを考えてみるのも楽しいものだ。

 雪や氷は青いということを、いつかこのブログに書いたことがあるが、最近、雪には赤い雪も緑の雪もあることを知った。日本では立山アルプスなどが赤い雪面でおおわれる。ただし、光のなかの青色成分が水分子に吸収されにくいという物理的性質によるもので、雪氷の本来の青さはそのままなのだが、赤い藻が雪面一面上にひろがり、一帯の雪を赤く染めるためだという。雪を顕微鏡でのぞき込めば、赤い色の藻が点々と観察される。雪氷藻類の仲間である。様々な生物が極寒の雪山でも、したたかに生きているものだ。たまたま、赤い色として人の目に知れているだけで、実は膨大な数の生物種が自然に存在しているというわけだ。

 雪氷藻によるかどうかは定かではないが、関東北部の尾瀬沼でも、沼地に積もった雪が赤くなる。尾瀬沼観光ガイドの方の説明によれば、「赤しぼ」と呼ばれる現象で、尾瀬沼の沼底には植物が堆積してできた泥炭が豊富にある、この泥炭が尾瀬沼の赤雪と関係があるかもしれないという。夏の尾瀬沼は木道に沿って水芭蕉が匂い立つ爽快な湿原で知られる。冬の尾瀬沼を歩く機会があったら、白い雪景色のなかの「赤しぼ」が目にとまるかもしれない。「赤しぼ」の赤い色は、立山アルプスに生息しているような雪氷藻の色か、あるいは泥炭の何かと関係するのか、そんなことを自分の目でみて想像するのもよいだろう。

 雪氷藻は、藻の中で光合成をする物質の種類によってその色は異なる。お馴染は葉緑素の緑色だろう。「目には青葉 山ほととぎす 初がつお」― 江戸時代の山口素堂の名句にも、初夏の葉緑素の緑が映えている。季節は替わって、冬の立山アルプスの赤雪の藻の中では、カロテナーゼという物質が光合成をしている。こちらの方の色は赤い。ちなみにカロテナーゼは、赤い人参(carrot)から見出されたため、このように呼ばれる。たいへん覚えやすい。そして身近感をもてる。

 「赤しぼ」が、何によるものかどうかは今後調べていけばわかることだろう。尾瀬沼は遠いと感じるなら、近くの夏祭りに出かけるのはどうだろうか。出店沿いに歩けば、どこかで“氷”の文字が目にとまるはずだ。シャキシャキ氷を搔く音がするかどうかは別に、赤や緑の氷の山を眺めることはできる。かき氷に小豆が添えてあればますます似てくる。氷の下の泥炭と「赤しぼ」をそこで見るかもしれない。

化学室のフラスコ

 今年小野学園は、創立80周年を迎えます。ちょうど私が小野学園の教師として入った年が創立50周年で、志ら梅祭(当時は、文化祭)の日に、今建設中の体育館の前にあった第一体育館で式典がありました。新人教師の私は、式典会場の一番後ろの席から参加しました。校長先生の挨拶・来賓の方々の御祝辞の後、永年勤続表彰として長年小野学園で教鞭を執られた先輩先生方の表彰が行われました。

当時の私にとっては20年・30年という年数は想像を超えていて、一言『すごい』と思っていました。そんな私が、今年勤続30年なんて、本当に不思議な思いです。

私の教科の家庭科も、30年で大きく変わってきました。教員になってはじめの数年は、4年生で『家庭一般』4単位・5年生で『被服』3単位・6年生で『保育』2単位と3年間で9単位の授業を実施していました。被服では、スカート・ブラウスなども型紙から作り、制作しました。

その後時代の変化ともに、女子の四年制大学進学も増大し、家庭科の授業は、必須単位を修得することだけになり、3年間で最低単位の『家庭基礎』2単位のみ、という時期もありましたが、現在は、小野学園の目指す【どっちもできる育成】ということで『家庭総合』4単位で展開しています。

教科内容も、家事・裁縫の要素が強かった時代から、少子・高齢社会をふまえた法律や介護など、扱う時代に変化しています。

また、生徒指導でもスカート丈が長くて『短くしなさい』と指導していた時代と、スカート丈を短くして『長くしなさい』と指導している現在、時代の流れを感じます。

今、30年を振り返ると[同じことの繰り返しの30年ではなく、常に新しいことの30年]であったことが、アッという間の30年になったのだと実感しています。これからも、常に新鮮な気持ちでチャレンジしたいと思います。

家庭科 I