2014年7月アーカイブ

4年間担任を離れ、広報の仕事に携わっていました。広報というと「一体何をしているの」とよく尋ねられますが、これは募集に関する業務一般で、わかりやすいところで説明会の企画やパンフレットの製作などです。日々忙しくしていましたが、生徒と触れ合う機会は授業と講習に限られ、寂しい気持ちもありました。

今年度は、6Cの担任を任され青天の霹靂でした。そして、速くも4ヶ月が過ぎようとしています。

高3は、入試や就職試験が目前に迫り、緊張の日々です。現実と向き合うのは、きついことです。しかし、そこを見極め、最大限の努力をしてよりよい選択をしなければなりません。

そんな中で、なんと言っても体育祭は大いに盛り上がりました。選手も応援する生徒も皆、笑顔、笑顔、笑顔・・・・・・。元気、元気、元気・・・・・・。担任を持った当初は、おとなしいクラスという印象でしたが、スポーツの好きな生徒が多いとても活発なクラスでした。結果は、ドッジボール優勝、クラスリレー2位、クラスマッチ総合優勝と3枚も賞状を手にし、大切に額に入れて飾られています。クラスのメンバーの顔入りのテルテル坊主は効験あらたかで、体育祭が終わってから大雨となったのでした。そして、テーブルマナー、宝塚観劇と他にも楽しい行事がありました。

夏休みに入り、三年生は講習に参加する人、志望理由書や小論文に取り組む人、面接の練習をする人、就職の対策をする人と連日登校しています。どうにか全員が希望の進路に進めるようにサポートをする日々です。

最近は"猛暑日"という日も出現しました。皆様どうぞ、お健やかにお過ごしください。

 

                       西山芳子(国語科)

毎年夏休みはクラブの指導で忙しい日々を過ごしていました。毎年8月20日ぐらいから高校生は大会があるので、それにあわせて練習計画をするとお盆も休みなくやっていました。しかし、今年のバレーボール部は部員減少に伴い2名しか選手がいません。夏休みは練習試合をしたくても出来ないのが現状です。

 ありがたいのはそんな現状を知ってか合同で練習をしてくれるチームがあるということです。夏休み前に数校に声をかけていただき、日程があったところは7月にも合同で練習をしました。これも卒業生がいろいろなチームと練習試合や合同練習をしてきたから声をかけてくれたのだと思います。今回も来てくれた指導者からは「以前人数が足りないときに小野学園の選手と合同でチームを作りゲームが出来た時にうちの選手は久しぶりにバレーボールが出来たと大変喜んでいましたよ。」といってくれました。そのようなこともあったなと懐かしく思いました。やはり運動部を長年指導していると部員の多いときも少ないときも会ったなと思い出しました。数年前にも高校生が5名しか選手がいないときがあり、他のクラブから選手を借りて大会に出場し、順調に勝ちシード権を取ったときもありました。

 来年は部員が集まり大会に出場できるように選手とがんばっていきたいと思います。

 

体育科Mより

道に迷ったとき,老馬を放ってあとからついて行けば道がわかるということから経験を積んだ者は,自分のとるべき道を誤らないということわざです。

 

私事ですが、先日82歳の母が他界しました。母が病んでから二年半、社会問題となっている介護・認知・福祉と様々なことを学び経験することができました。

 

そんな最中でも母から時折「○○はこうしなさい。○○はダメ。」と話してくれたことがあります。その時は、私自身「何言ってるの?」と思い、耳を傾けることが出来ませんでした、どこかに老いては子に従えという驕る気持ちが私にあったのだと思います。

今母がいなくなって、母の残した言葉の的確さや重さを感じています。

 

中高生の皆さんには、またまだご両親が老いるということは実感できることではありませんし、さらに自分自身が歳を重ねるということは考えにくいことだと思います。しかし残念ながら、一日一日時は過ぎていきます。では、今私たちができる事は何なのでしょうか?

 

特に、初老を過ぎた私は次の世代の人たちに何を残せるのか?何を伝えられるのか?と考えてしまいます。

では、今何をすべきなのでしょうか?

それはきっと、一生懸命に生きることに尽きるのではないかと思います。

どんな些細なことでもその時の最善を考えて相談したり、計画したり、実行したりそこで得た経験が少しは皆さんに還元できるのではないのでしょうか。

 

さあ、また一歩ずつ前に進みます。         

 

家庭科I

「初心忘るべからず」という言葉は誰もが一度は耳にしたことがあるでしょう。どの世界でも大事な心構えとして、特に新入学生や新入社員への訓示として常套句のように使われている言葉ですが、調べてみると実はもっと深い意味があるようです。

 そもそもこの言葉は中世の能楽の大成者である世阿弥が『花鏡』の結びとして記したものです。解釈すると、「初心」とはもともと「最初の気持ちが引き締まった精神」ではなく、「素人で恥ずかしい思いをしたこと」を指しているのだそうです。「今はまだ未熟で恥をかくこともあるだろう」という内容から、だから「これから色々と吸収して早く一人前にならなくてはならない」という意気込みを忘れるな、という形で使われているのです。

今年も教育実習の先生方が本校で実習をされています。その授業の様子を見て、「自分はここまでうまく実習中に授業できていたかな」などと思い返すこともあり、冷や汗をかくことも。教壇に立ってはや10年が経とうとしていますが、今でも自分の未熟さを痛感することがあります。しかし、そうした振り返りを怠った瞬間、教員としての成長も止まり、ただ授業をこなすだけの教員になってしまうことでしょう。当時の稚拙な授業を思い起こしつつ、されど今は如何に?と常に問いかけ続けなければなりません。

今回の実習が先生方にとって如何なる「初心」になるや。初々しい先生方の授業に目を細めつつ、ふと自分の実習指導教員の、別れ際の柔和な微笑みを思い返した国語科のT・Tでした。

6月21日(土)、品質のよい絹糸を大量に生産して、ヨーロッパ諸国へ輸出し、国内の経済を安定させようとして始められた群馬県の「富岡製糸場」が世界文化遺産に正式に登録されました。1872年に生産を開始してから、150年ほど経っています。絹は2000年以上昔から交易の貴婦人として重宝されてきました。ユーラシア大陸を東西に通じるシルクロードを商人が運んだ姿は誰しも思い浮かべる光景ですが、このシルクロードの最東端は日本であったということが歴史上の事実のようで、絹と日本人とはまさに細くながい糸で結ばれていたというわけです。

 

この絹ですが、一頭の蚕(動物)が絹糸を唯一本、全長にして1000 m超をはき出して、卵殻形の白絹の家として我が身の周りにまとうわけです。昔の人々はこの蚕の家を再び一本の絹糸にして取りだし、工夫を重ねて絹布へと仕上げてきたわけです。ちなみにハンカチ一枚には七頭の蚕の家が使われる勘定とのこと。絹の肌さわりや高級感は、まさしくお蚕さまのおかげといってもよいでしょう。

 

さて富岡製糸場は鎖国政策から開国へと大きく方針転換が始まった明治維新以降の殖産(産業拡大)に、女性の参画を強く促しました。国全体として女性に対して、各々の立場・状況に応じた生産活動という社会貢献が求められました。それは同時に自分や自分を取り巻く周りの人たちの生活の安定とも直結していたわけです。

 

富岡製糸場が求めたように、150年後の今も、また、女性が社会へ参画することが求められている時代であることは、テレビや新聞の報道によって明らかでしょう。自分だけでなく、周りの身近な人たちのために自分ができることをやっていくことが、社会に貢献しているということではないでしょうか。

富岡製糸場という歴史的な遺産ができたのも、たった一頭のお蚕さんが必死になって生きたからなのですね。太古の昔に、シルクロードをどれだけの絹と商人が通ったでしょうか。当時のその道は、私たちが想像するほどの賑やかさは実は無かったのかもしれません。あったのは、ひたすらその道を歩く人々の日々の姿だけだったのかも知れません。

化学室のフラスコ