2014年9月アーカイブ

名前も知らない師

ドラすけです。
もう教員となって20年以上が過ぎました。
いま考えてみれば、あっという間のように感じますが、よくここまで続けてきたなというのが素直な感想です。
ここまでのことを考えてみると、1つの転機になった出来事が実は1年目にありました。

もちろん、ある程度の理想を持ってこの仕事に就いたわけですが、いま思い出してみるとまだ動機も若かったと思います。
そのような中、1年目の10月ぐらいだったでしょうか、母校の大学へディスカッションを見に行きました。
これは大学で教員を目指している学生によるものでしたが、私と同じように教員になった卒業生も多数参加していました。

内容は「学校行事は必要か」というような内容でした。

体育祭や文化祭などの行事が本当に学校に必要なのかということを討論するわけですね。
会場にいた全員が参加できるので、かなり活発に意見が飛び交っていました。
「学生の本分は勉強なのだから、行事なんてやる必要がない」
「やっぱり学校は楽しいのが1番だから、行事は必要だ」
など議論の細かい内容は意見は違えど、だいたい上の2つに分かれていました。

自分も若かったので、かなり感情的に意見を考えてしまっていたのですが、ただどちらの意見もしっくり来ていなかったのを覚えています。
はっきり言って自分でも全員を納得させるような意見はありませんでした。

最後の方に学生達の意見に業を煮やしたように手を挙げた人がいました。
その人ももちろん卒業生なのですが、60歳に近い様子の方で、確か中学校の校長をしていると言っていました。
その方はどちらがいいというわけではなく、こういいました。

学校というのは教育機関です。
楽しいからとか苦しいからとかではなく、なぜ行事をするのかということをよく考えて欲しい。

そのようなことを言ったのです。
会場全体が静まりかえりました。

そこで自分もハッとしました。
確かに学校で行うことは授業にしても行事にしても、すべて教育を目的としなくてはいけないと。
生徒に楽しみを与えようとか、勉強が大切だから詰め込もうとかそういうことではないんだ。
当たり前なのですが、議論に巻き込まれているうちに最も大切なことを忘れていました。

それ以来、常に大切なことは「教育」だと心に留めて仕事していることがここまで続いている原因なのかもしれません。
当たり前のことですが、ときどき忘れそうになることも事実です。

本当に名前も知らない方(名乗っていたのですが、そのときは気に留めていませんでした。すいません。)の言葉でしたが、自分の中では師と仰いでいまも頑張っています。

 実は私、4か月前から習い事を始めました。(何をやっているかはまだ内緒です)

 「なぜ今?」と思われるかも知れませんが、前からやってみたいと持っていたことと、子育てもひと段落したので、心身ともにリフレッシュを目的に始めた次第です。

やってみて改めてわかったことがいくつかあります。まず1つめは、「学びに年齢などは関係ない」こと。新しいことを学ぶことは、なかなか楽しいものです。教師という仕事柄、相手に教える場面はたくさんありますが、自分が教わる立場になるというのは、そうそうあるわけではなく、だからこそ、とても新鮮でわくわく感があります。まだまだ初心者なのでできないところの方が多いのですが、前回よりも(ちょっと)上手にできたな、と思う時はやっぱり嬉しかったりします。自分の中に新しい引き出しができて、中身が少しずつたまっていく感じがします。(上達が実感できることもポイントです)

2つめは「褒めることは大切」だとういうこと。先生はいつも絶妙のタイミングで褒めてくれます。「きょうこさん、いいですね! きれいにできています」等々。(お教室では名前で呼ぶのですが、名前を呼ばれることも久しぶりで、何となく嬉しい★)「褒めて育てる」という言葉がありますが、まさにその通り。次も頑張ろう!と思えるのです。私もクラブ顧問をしていますが、ついつい部員には「ここが出来ていない」、「まだまだダメダメ」などと言っていましがちです。昨日よりはできたところを見つけて「ここはよくできたよ。あとここがもう少しだね」と、「褒めて伸ばす」ことも心がけてみようと思いました。

そして、帰宅した後は、お稽古の復習をします。家族は「何やってんの?」という顔で見ていますが、おさらいをしないとやっぱり忘れてしまうものです。おさらいをしたところが次回スムーズにできると、「今日はいい感じ!」とお稽古にも気合が入ります。「復習は大切」と日頃生徒に言っていることをしみじみと実感しています。

週1回の習い事ですが、何か目標があると、日々の生活にもハリが出てきます。さて、今週も頑張ろう!

 

                                社会科 K

その1.

期日までに、宿題「ブック・レポート」を提出できなかった人がいましたが、これは高校生としては言語道断です。自分を成長させるには辛くともこなさなければならないことがあるのだということをもう一度噛みしめてください。併せて責任感の問題であるとも思います。何かを主張するのならば、たとえば高校生であると言うのならば、それに伴う責任を果たすことは社会契約上必須のことです。これは、能力や実力の問題ではなく、意欲と責任の問題であるだけではなく、自尊心〔プライド・矜持〕の問題でもあると思います。

 

その2.

課題「総合問題冊子...任意」を提出した人は少数でした。まったく残念であるとともに、皆さんの意欲あるいはプライドの低さ、向上心の欠如を痛感せざるを得ない出来事であります。尤も、任意の恐ろしさ、素晴らしさを皆さんに理解してもらえなかった私の至らなさもあることを反省しております。人間は他の動物とは違って(本当にそうなのかについての正確なところは私にはわかりえないところもありますが)、自らの能動的な意思によって行動の取捨を選択することができる、つまり自己の意思を出発点として、物事に取り組み、何事かを成し遂げようとすることができる素晴らしい存在なのだと思っています。家畜のごとき強制や、点数という目先の餌によってしか行動を起こせない人であってはいけないのだと強く信じています。私たちは「学ぶことによって成長する存在」です。その信念を揺らがせてはなりません。そうでなければ、皆さんが成長して有為な社会の一員として活躍し、そのことによって自己実現を図る〔生き甲斐を持って生きる〕ことは能(あた)わないでありましょう。「たかが学校の課題」、されど「学校の課題」の持つ大きな力や可能性の萌芽を大切にしてほしいと切に願っております。

 

その3.

夏休みの有効利用の一つとして、英単語集の学習を進めるようにお願いをし、9月最初の授業時に確認試験を行いました。こちらも結果は思わしくありませんでした。何かを記憶する作業というのはなかなか辛いものですし、また記憶することに対する適性や対応力には大きな個人差も存在すると思います。しかしながら、皆さんの年代〔中高生〕の頭は柔軟性に富み、適応力も高い時期ですから、この時期に集中的に何かに取り組むことは、頭を鍛える良い機会であると同時に、大きな成果を得るためにも必須の訓練の一つであると考えています。芸術でもスポーツでもそうであるように、物事には時期〔適宜〕というものがありますから、皆さんには是非とも、この時期の鍛錬に挑戦していただきたいと思います。幸い、前期末試験後は正課授業がありませんので、この期間を使って英単語の集中的記憶に取り組んでいただくことにします!具体的な方法や試験日程については、期末試験終了後に発表します。君たちの熱い挑戦を期待します。

September 4, 2014 (K.Tanaka)