『学園祭-祭り-を考える』

 今年も本校の学園祭「志ら梅祭」が終わった。企画段階から準備段階、そして当日、後夜祭へと続いた一連の活動で流された汗や、試行錯誤し続けたあたまとからだ、そしてともに力を尽くし合った仲間たちこそが、学園祭で君たち(生徒たち)が受け取った今年の収穫ということになるだろう。

 しかし、学園祭の主人公は確かに君たち生徒であったが、それを支え、導き、育んでくれた大いなる力の存在を忘れてはならない。最も身近にいるがゆえに忘れてしまいがちな親・兄弟姉妹・祖父母などの家族、担任・分掌担当の先生たち、幼稚園・小学校の園児・児童と先生たち、また事務室のみなさん、バザー・売店他の仕事を担当してくれた保護者のみなさん、さらにはフードコートを運営してくれた業者さん、養生やパネルの設置、取り外しに携わってくれた業者の方々、そして何よりもこのイベントを見に来てくれた多くのみなさん(集計では2日間で3710名)がいてくれたからこそ私たちは素晴らしい時間を共有できたのだという事実をゆめゆめ忘れてはならない。

本来、祭りは神様に対する豊穣や幸運への祈りであり、あるいは収穫への感謝の表現である。その祈りや感謝の思いこそが人々を結び付ける絆となってきた。同時に人々を拘束する枷でもあった。私たちは家族、地域社会、学校、会社、自治体、国家などに所属し、その構成員としての義務と権利を享受している。そこでは個々人のわがままや自由は一定の範囲で制限されている。制限されているが故に、言動や思想や生命などが保障されてもいる一面もある。翻って、私たちの学園祭を考えてみよう。学園祭という大きな目的が達成されるためには、さまざまな人の多くのアイディアと実践や助力・助言、またいろいろな点での我慢や忍耐、あるいは自発的な行動が一つの目的に向かって凝縮されたはずである。何かをやり遂げるには大きなエネルギーが必要であるが、そのエネルギーを創りだし、活用するのはすべからく私たち関係者(参加者)なのだ。したがって、私たちは神への祈りや感謝の儀式であった祭りを通じて、組織と個人が明日を生きるための力(エネルギー)を与えてもらったとも言える。何かのために力を尽くすことができる機会を得た人は幸いである。また、誰かのために自分の力を出すことができた人も幸いである。そして、それらの幸いを自分たちの喜びに変えるこころを持つことができる人はさらに幸いであると言える。

祭りの熱狂が去って、私たちは今また、日常という静寂の中を再び歩きはじめている。この日常の積み重ねこそが、私たちの前途に夢を描かせ、志を育ませるための動因となりうるものである。今日をしっかりと存分に生きよう。そして自分の目標や夢に向かって歩み続けよう。やがてまた、祭りという至福の時が訪れることを願って。                                October 6, 2016 (K.Tanaka)