2019.2.15

気が付けば教員になって30年という月日が流れていた。教員としての第一歩を踏み出した日が昨日のことのように思い出される。最初の勤務校は千代田区にある某女子校。最寄りの駅から地下鉄に乗って、ずーっと地下を走行するため景色など全く皆無。到着駅から地上に上がると周囲に並び立つビル群に圧倒された記憶がある。「都会の学校ってこんなところにあるのか・・・」

3年後、縁あって小野学園の門をくぐることになり、面接に向かった。当時は守衛室がなく、どこが受付なのか全く分からない。すると、正門近くの木に登って枝の剪定をしている人を発見。笑顔で「事務室はどこですか?」「ありがとうございます!」事務室から別室に通され、待たされること数分。面接にやってきた方はさっき木に登って枝の剪定をしていた方だった。用務員のおじさんかと思った!きちんと挨拶しておいて良かった!変な汗が出た・・・これが運命的なO先生との出会いだった。私は小学校に専任教諭として採用していただくこととなった。O先生は大変厳しい方であったがとても暖かく見守ってもらい、教師としてのあるべき姿を見せてもらった。O先生の定年退職を機に中高への異動を希望、タイミング良く希望が叶い、現在に至る。

小野学園での20数年間、生徒との思い出は数知れず。その時々で発生する事案はさまざま。一つとして同じものはなかった。記憶に残った出来事を振り返ってみた。

1.東日本大震災

誰もが混乱に陥った日であった。学校ももちろんバタバタしたが対応が早く、大きな混乱はなかった。一晩泊まらなければならない生徒たちが、妙に明るかった。それに救われた。

2.生徒が痴漢を連れてきちゃった・・・

中学生が痴漢を捕まえた。「警察に行くか?学校に行くか?」そう痴漢に問うと「学校に行く!」と答えたそうだ。なぜ???生徒に呼ばれて廊下に出ると、生徒数名と共に廊下に並んで立っている男がいた。「どちら様ですか?」生徒「この人痴漢です!」110番に通報すると警察も「えっ」パトカー5台到着。物々しい雰囲気になった。

3.突然の死

主任が亡くなった。私は主任に怒りをぶつけたこともあったが、主任から怒られたことは一度もなかった。最後に交わした言葉は残念な会話であり、とても悔やまれる。温厚な方だった。今でもその死が信じられない。

いつの間にか私の教員生活も残り年数一桁となってしまった。そしてあと数週間で3年間育ててきた生徒が巣立っていく。今年の卒業式は今までになく感慨深いものになるに違いない。