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 みなさん、こんにちは。お元気でしたか?美人教師Yで~す。

 もうじき師走ですね。2017年の1年間を振り返る季節となりました。みなさんにとってどのような1年でしたか?この時期になると、街頭でも年賀状のハガキが売られているのを見かけますね。ちょうど先月、先生のクラスの卒業生が、久しぶりに学校に来ました。彼女は現在郵便局に勤めております。その彼女が「新年のご挨拶にぜひ当郵便局で年賀状の購入をお願いします。」と。すっかり社会人ぽくなった彼女が丁寧に言いました。その姿に先生はとてもうれしく思い、感動しました。「よし、今年は彼女のためにもたくさん購入しよう!!」と少し多めに注文をしました。昨年はちょうど喪中だったため、毎年来る年賀状を楽しみにしていた私は何だが寂しい気持ちになったのを思い出します。実は先生は年賀状を出すのが大好きです。小学校時代から現在まで関わった友達や先生など人生で関わったたくさんの方たちへ毎年年賀状を送ります。

 ちょっと考えてみてください・・・。今までの皆さんの人生の中で、たくさんの出会いがあったと思いますが、その中で、今も頻繁に顔を合わせられる人はごくごく一部のはずですよね・・・。そういった久しぶりの方に、いきなり電話をしたら「何!?」とびっくりされるかもしれませんが、年賀状ならむしろ「覚えていてくれたんだな~」と喜ばれるものだと思います。それって、不思議で、とても素敵なことだと思いませんか?引っ越しした時に整理をしていたら、懐かしい方の年賀状を見つけたことがありました。何年も音沙汰のなかった相手に思い切って年賀状を出していたら、返事が来ました。「年賀状を送ってくれて本当にありがとう。嬉しかったです。」と書いてありました。先生もお返事が来てうれしかったです。その彼女とは今でも年に1回年賀状のやり取りをしています。

 いかがでしょうか。できれば一年に一度、大切な人や昔お世話になった方々への「元気です!」を送ってみてはいかがでしょうか?年賀状という文化がどんどん薄まっているからこそ、きっと暖かい気持ちを届けられますはずです!年に一度の「お元気ですか?」は、誰が誰に送ってもいい、魔法の手紙だと思いませんか?今年も新年にポストから懐かしい魔法の手紙をいただくのを楽しみにしております・・・。 美人教師Y

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ドラすけです。
今年も放送部は高等学校文化祭の放送部門に参加してきました。

今年はただ参加するだけではなく、より技術の向上を目指すことにしました。
昨年参加して、部員達が少し意識してくれた成果だと思います。

さて、朗読とアナウンスの原稿を作り、一人で読むだけではなく視聴覚室を借りて部員みんなの前で一人ずつ原稿を読み上げる練習を何度か繰り返しました。
ただ読むだけでなく、一人が読み終わるたびにみんなで批評をしました。

社交辞令が飛び交うと思いましたが、思ったよりお互いにきつめに的確なアドバイスが飛び交います。
「声が出ていないから立って読んだ方がいい。」
「もっと抑揚をつけて話すべき。」
「しっかり口を開けて。」

でもそれだけではありません。
2回目の読み上げが終わって再度批評をしあいます。
「うん、さっきよりずっと良くなった。」
「1回目より聞きやすくなっている。」
すると、批評された部員の顔が明るくなります。

ただ、厳しい評価をするのではなく、良くなったところは素直に評価する。
これがお互いに意見することの大切さなのでしょう。

大会の結果はどの部員も確かに昨年より評価が上がっていました。
やったことの結果がしっかり出ているということがよく分かります。

来年もまた一つ課題を乗り越えていきたいものです。

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私が女の子だから、成長を祝福されません。私が女の子だから、子どもなのに労働をさせられ、遊ぶことも学ぶことも許されません。私が女の子だから、まだ12歳、13歳なのに望まない結婚をさせられ、望まない妊娠をさせられ、また暴力にもおびえなければなりません。私が女の子だから、発言権も何かを主張する権利もありません。(公益法人 インターナショナルジャパン ホームページより抜粋)大変痛ましく、腹立たしいことですが、これらは、ある特定の地域やコミュニティーでのみのことではないと私は思っています。むしろ、ほとんどの世界で起こっている、若しくは起こりうることです。

最近、いささか下火にはなりましたが、"女子"力という言葉が使われます。多くの人が何の抵抗もなく使っているこの言葉が私は大嫌いです。この場合の "女子"力というのは、例えば、料理ができる、相手にやさしい気遣いができる、"女性らしい" 態度、言動ができる...といったことでしょう。然し、これらは女性のみならず男性もできなければならないものである(殊更に "女子" であることを強調する必要性がない)、あるいは女性が男性より一歩下がった状態であることを是とする(控えめである女性がよしとされる)考え方が根底にあるものです。これらの考え方というのは、冒頭に述べたような事象を支える考え方の1つであると私は考えています。だから、私はこの言葉が大嫌いです。そもそも、"男子"力という言葉はありません。"男の中の男" は褒め言葉ですが、それと対になるはずの "女の中の女" という言葉は、極めて不思議なことに、存在しません。"雄々しい" は褒め言葉ですが、"女々しい" は逆です。言葉の上だけでも、ちょっと考えただけでも随分変なことがあるものですね。

"女性が活躍できる時代" と言いますが、まさかそれは "女性だけが" 家庭でも職場でも活躍しなければならないということではないでしょうね?若しそうでないならば、"男性も同様に活躍できる"とでも言っていただきたいものです。"女性だから" 両方の荷を負わなければならないのですか?きっと、多くの女性がそう感じている、若しくはこの感じ方に共感を覚えると思います。

あるテレビ番組では、町中で若い女性のみに料理をさせて失敗するのを笑いものにしています。若しそれが、私のようなおじさんにも同様のことをしているならば、それでも下品だとは思いますが、まだわかります。でも絶対そんなことはしないでしょう。何しろそんなことをしたらおじさんたちに怒られてしまいますから!若い女性(女の子と言っても良い年齢層の人)だから、こうしたことも笑って受け流さなくてはならないのでしょうか?料理は男性だってできなければいけないはずですが、女性というだけで料理ができないことを笑われなければならないのでしょうか?

このようなことは枚挙にいとまがないほどありますが、これらは遠い国のことではありません。私たちの周りのごく普通のありふれたことです。つまり、女性が不利になるような状況は十分過ぎるほど存在しているのです。

成人した女性ですらそうなのですから、"女の子" ならばもっとひどいことになっているでしょう。女子校の教員として、"女の子" だからなどという理由で女の子だけが理不尽な我慢を強いられるようなことがないよう、少しでも女の子が生きやすい世界であって欲しいと心から願います。また、その為に、無力ではありますが、少しでもプラスになるように努力したいと思います。

数学科 H.T

 先日、中学2年生の理科の授業でイカの解剖を行いました。軟体動物であるイカの構造や特徴を学び、それらを確かめるために、3人で1杯ずつ実験を行いました。

 外形の特徴・内臓や各部分・貝殻の痕跡・性別など・・・ほとんど確認できたところで、ある班から「先生、何か動いています!」と声があがりました。2日前にスーパーで購入したイカなので、イカ本体が動くことはありません。しかし、その物体は確かに動いていました。場所は、イカの腸内・・・そしてその正体は、寄生虫のアニサキスでした。イカ本体が亡くなっていても、元気に動いており、初めて見た生徒たちは「すごいね~」と感動していました。

 イカ(軟体動物)のからだのつくりや特徴を確かめるために行った実験でしたが、思わぬ発見にそちらの方に興味がいってしまったようです。食中毒の原因として注意されているアニサキス。今回使用した5杯のうち、見つかったのは1杯でした。

 実験を通して改めて、教わったことをただ確認するだけではなく、気になったところをさらに観察したり、考えたり、実物に触れることが大切だなと思いました。

                             

理科O

 社会科Eです。私は本校で防災・防犯訓練の担当となって3年目となりました。そんな中、江東区にある「そなエリア東京」を訪問する機会がありました。「そなエリア東京」は国の災害応急対策の拠点として整備された6.7haの国営公園、6.5haの都立公園の計13.2haの広域防災公園の中にある防災体験学習施設です。私は「東京直下72h TOUR」を体験しました。

 まず11人にタブレットが配布され、冬の18時に震災が起こったときに施設内にある街を移動し、「外出先で地震にあったら? 」「自分の住むまちで地震にあったら? 」という2つのシナリオで建物ごとにタブレットのクイズに答えていきます。答えた後はその建物で想定されることが動画で流されました。

そして、再現された避難場所へ移動し、起震機による揺れの体験や避難所での状況を動画でみる体験を行いました。さらにガイドさんによる壁のグラフィックを使いながら津波の説明がありました。

最後に映画「シン・ゴジラ」に使用された現地災害対策本部をのぞき、中学生と小学生の兄弟がお台場へ出かけているときに地震にあうドラマを鑑賞しました。

この体験を通じて、私自身も改めていつ大きな地震がおこっても冷静に対応しなければいけないこと、そのためには普段からの心がけが重要であることを認識させられました。「家の食事は何日間用意していますか?」「避難用の持ち物をまとめていますか?」という質問に対して、どのように答えますか?ガイドさんはカバンに簡易ペンライトを常に身につけているというお話もありました。日々、訓練等を通じて、生徒たちへの伝達を行っていますが、校内だけでなく、いつどこで起こっても大丈夫なように防災・防犯のことを考えていきたいと思います。

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 皆さんは普段使っているカタカナの言葉に注目したことがありますか?その多くは、英語をもとに作られたものですが、その一つ一つを調べてみると結構色んな勉強になるのです。

 例えば、いつも皆さんが使っているコンセント。実は、英語ではoutletと言います。

 Where are the outlets? (コンセントはどこ?)

 日本語の「コンセント」は、明治時代に使われていた電気製品の名前に由来するとのことです(国立国語研究所『よくある「ことば」の質問』より)。「コンセント」と同じような発音の英単語としてconsentがありますが、それは「合意」という意味を持つので、コンセントを探すシーンで使っても、全く通じないですね!

 なお、consent(合意)の派生語としてconsensusがあります。それは、今日ニュースや新聞などでよく見かける「コンセンサス」として日本語でも使われていますね。これは「複数の人による合意」を意味します。例えば、「この政策を進めるにあたって、国民のコンセンサスを得る必要がある」などと使われます。

 このように、『「コンセント」を英語で何て言うのかな?』という疑問を出発点にして、様々なことを学ぶことができます。皆さんも、普段何気なく使っているカタカナの言葉を調べてみて、知識の探求を楽しんでみてください。

小林 翠(英語科)

 秋の装いが深まって、いよいよ実りの秋を迎えています。秋は収穫物を集める時、つまり、有秋の情景に彩られた嬉しくも哀しい時と言えます。こうした季節の移ろいは、私たちの人生の有為転変の象徴として語られることも多く、四季の微妙な移り変わりを自然の色彩と同時に、心情を語り伝える言葉として表現されています。また、季節は巡ってくるとも考えらえていますが、それは自然界が有する圧倒的で不可思議な再生の力に対する私たち人間の畏怖と憧憬であるとも考えられます。
 さて、私たちは何事かを為さんとするとき、目標達成に向けての緻密な計画とともに成就のための強い意志と粘り強い集中力、そして不断の努力こそが成功のカギであることは疑いようのないことです。また、「継続は力なり」ともよく言われますが、これも先人たちが長い紆余曲折の歴史の中から、人生の歩み方・生き方の極意として学び、体得した珠玉の真実であると思います。己の信じる道を誠実な熱意を込めてコツコツと歩み続けることの素晴らしさに大いなる憧れを抱くのは私だけではないと思います。しかしながら、この一つの道を脈々と歩み続けるという行為は、決して同じことの繰り返しを意味するものではありません。一見するとそのように思えるかもしれませんが、私たちの生きる営みには昨日と同じものなど存在せず、細やかではあっても昨日より進歩・前進しているはずです。稀には後退していることもあるでしょうが、いずれにしても同じことと見えるものも、実は着実にその在りようを変化させた姿で私たち自身に迫ってくるものなのです。それゆえ、「同じことを続けること」は、私たちが進歩や前進という可能性を育てるための確かな方法であると言えます。
 毎日のルーティンは、時につまらなく惰性に流されてしまいがちですが、この退屈ともいえる繰り返しの中にこそ成長や変化の「種」が入っているのです。そして、やがてはその種が地面に根をおろし、緑を茂らせて、成長と希望の光をともす力を私たちに与えてくれます。日々の授業、宿題・課題、予習・復習、さらには部活動、行事への取り組み、家事の手伝いなどすべてが今日を踏まえての明日の変化(実り)を約束するエネルギーです。飽くことなく今日を一所懸命に明日へと続く道を一緒に愚直に進みたいと願っています。

 先日、新しくできた書店をのぞいたら、数か月前に発行された雑誌の特別号がディスプレイされていて思わず購入してしまいました。この雑誌が発行されたとき、いつも使っている書店で見かけていたはずなのに。やはり本の見せ方、並べ方は大切なんだなと実感しました。
 さて、肝心の雑誌ですがタイトルは『文藝別冊 総特集 俵万智』。私自身は大学でも短歌の研究会に出ていたこともあり、彼女の歌に触れる機会はたくさんありました。生徒と話題にしたこともあります。それがなぜ今、この雑誌が気になってしまったかというと、表紙に今年は『サラダ記念日』刊行30周年とうたわれているのに気付いたからです。
 私が高校一年生のとき国語の授業を担当してくださった先生は、大学を卒業したばかりの女性の先生でした。その先生がときどき「私の大好きな俵万智さんがね」と話されていたのを、表紙を見ていたら思い出しました。そういえば世間では『ノルウェイの森』や『キッチン』とともにこの歌集が話題になっていました。そして、その先生の授業で「羅生門」や万葉集の歌、与謝野晶子の歌を習ったことを思い出しました。私の授業は少しでも生徒たちの記憶に残るだろうか。残るものがあってほしいと思います。
by U

「このJRのガードをくぐると、今日漕いでいく先には、橋はありません」先を行くカヌーに乗ったガイドが説明をしてくれる。これから約17キロ、1日がかりで釧路川を下るカヌーの旅のスタートだ。十数年前に四国の四万十川をカヌーで下ってから、ずっと来たかった釧路湿原の中を漕いでいくカヌーの旅の始まりなのだ。

釧路川は両側を釧路湿原に囲まれている。小学校の時に習ったようにやわらかい河岸を侵食して、大きくゆったりとS字にカーブ描いて川は流れているので、漕いでいく先の景色が見えない。だからカーブを曲がるたびに新しい景色が開けてくる。といっても、湿原なのでそんなに急に景色が変わるわけではない。待っているのは北海道の自然の中に生息する動物たちだ。

最初に見つけたのはエゾジカだ。水を飲みに来ているのだろうか、親子なのだろうか、体の大きな2頭と少し小さな1頭が水辺にいた。

次に出会ったのはオジロワシだ。ガイドさんが見つけて教えてくれた。私達のカヌーの上空を、翼を広げて悠々と飛んでいた。

また次のカーブを漕ぎ進めていくと丹頂鶴にであった。今年生まれた子供を連れた親子なのだという。カヌーが近づき過ぎると丹頂鶴の生活を乱してしまうので、見たい気持ちを抑えて、岸部から離れるようにカヌーを操作する。そのうちに飛び立って私達のカヌーを飛び越して行った。ガイドさんが少し興奮したようにいう「今年生まれた子供が初めて飛びました」と。

丹頂鶴は冬に雪や氷の上で群れている写真を見ることが多いせいか渡り鳥のような感じがするが、そうではない。夏の間に産卵、子育てをする上、夏は草木が茂りその陰に隠れるので、あまり見ることができないのでどこかに渡っているように思われるらしい。冬に見ることが多くなるのは草が枯れ、見やすくなるのとえさが少ないので、人がやるえさ場に集まるので見つけやすいからだ。

この旅では他にもキタキツネやサギ等の鳥、さまざまな種類のトンボなどたくさんの生き物に出会った。もちろん湿原に咲く可憐な花や栄養の少ないところに必死に根を伸ばす草木たちなどにも出会った。自然に包まれ、自然に抱かれた1日のカヌーツアーだった。

人間は太古の昔から自然の中で暮らしてきた。もちろんゆったりと温かい自然ばかりではないだろうが、人は自然がないと生きていけないのかもしれない。人工的なものに囲まれ、バーチャルな世界で生きている現代の私達は、時々自然に包まれるような時間が必要なのではないかと思う。そうして、自然からパワーをもらって、また現実に戻って行くのだ。

M

先日、縁あって障害者水泳大会の競技役員を経験しました。障害者教育の知識がなく、今まで関わるきっかけもなく、正直なところ悪い言い方ですが、縁遠いところがありここまで来てしまったのが現状です。
2020年東京五輪が決まって以降、日本が"東京2020"のために大きく変わりつつあると同時に、私自身も少し意識が変わってきたのかもしれません。ルール上の不安があったものの、専門知識を持ったアドバイザーが補助についてくれることもあり、勉強のためにお手伝いをすることになりました。病気や怪我、または先天的に肢体が不自由であったり、欠損していたり、事情は様々ですが、細かくレベル分けされてレースが行われます。そのために障害の「クラス分け」をする部署があること、資格者が存在することを知りました。クラスはS・SB・SMがそれぞれ1~14に分かれており、数字が若いほど障害が重く、11~14(15・21まであり)は視覚・聴覚・知的障害別となっていました。クラス分けを覚えるまでに時間がかかりました。その他スタートの仕方、ゴールの仕方、それを補助するコーチやボランティアの方々・・・ここには書ききれないたくさんのことを初めて知ったり、覚えたり・・・。まったくの勉強不足の状態で臨んだ自分を恥じたしだいです。しかし、もっとも衝撃を受けたことは、選手の競技に対する姿勢です。体が不自由でも自分のできることを一生懸命やる。たぶん今回の大会にエントリーしてきた選手は、"東京2020"という目標を目指して臨んでいるのでしょう。いろいろな意味でパワーが違いました。
五体満足、健康であることが当たり前の私達。小さなことでくよくよしたり、怠けたり、不平不満を口にしたり・・・つまらない時間の過ごし方はもったいないと思いました。今回の経験から得たことを、生徒にどのように伝えるかが今後の私の課題。前向きに!もっともっと頑張れる!そう言いたくなった経験でした。 体育科K